こんばんは
今回も日付が変わってからの投稿です。
梅雨なんだから仕方がないとはいえ、ジメジメと蒸し暑くて何とも嫌ですね。
更に、ここのところ職場の雰囲気が今いっちょで、気持ちに余裕もなくて、
イライラしてるわけではないんですが、居場所に困る感じとでも言うんでしょうか?
パッとしない日々です。
パッとしない日々です。
さて、それはさておき
ご紹介している神社巡り、
「牛庭神社」から始まって
「佐那神社」(紹介してないけど)「北畠神社」「並大神社」「尾鷲神社」「木本神社」
そして7か所目 そろそろ終わりも見えてきました。
今回は、
神々の産まれたところ「産田神社」です。


産田神社は、
「伊弉冉尊が火の神 軻遇突智命を産み、大やけどを負って亡くなった場所」
とされています。
と言うことで、
主祭神 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉冊尊(いざなみのみこと)
軻遇突智神(かぐつちのかみ)
祭神 天照皇大神(あまてらすおおかみ)
大山祇命(おおやまつみのみこと)
木華開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
神武天皇(じんむてんのう)

御由緒は
天正(1573~92)の兵火で古記録宝物等焼失のため詳しくは不詳、
明治期まで、この地域の氏神社は産田神社であり、「花の窟」は神社ではなく「伊弉冉尊」「軻遇突智神」の墓所として認識されていた。
また、口伝では「崇神天皇の夢見により、ここにお祭りされていた神様を熊野川、音無川、岩田川の合流点にある中洲に遷したのが、熊野本宮大社の始まり」という伝承されている。
また、口伝では「崇神天皇の夢見により、ここにお祭りされていた神様を熊野川、音無川、岩田川の合流点にある中洲に遷したのが、熊野本宮大社の始まり」という伝承されている。
現在も、熊野本宮大社の例大祭の巫女舞に「有馬の」の下りがあるといわれ、江戸時代までは、産田神社と本宮大社では、同じ巫女舞が伝承されていたという。
これらの伝承が、産田神社が花窟神社や本宮大社の前進であるとする説の根拠となっている。
これらの伝承が、産田神社が花窟神社や本宮大社の前進であるとする説の根拠となっている。

本殿です。
安産祈願の神社として知られていて、
ここの御白石を目をつぶって拾う。
その石が丸いと女の子、細長いと男の子が生まれると伝わっているそうです。
また、無事に生まれてお宮参りをする際に、
七里美浜で御白石を拾って元の石と一緒にここへ返してお礼参りをするんだそうです。

歴史は古くて、弥生時代から「伊弉冉尊」「軻遇突智神」を祀っている
その古さを物語るものとして残るのが、社殿の両脇にある「神籬(ひもろぎ)」の跡。

「神籬」は、神社の原始形態とされる神域を示すもので、
神社に鳥居も社殿もなかった時代、神を迎えるための依り代(よりしろ)となる神聖な空間のこと

右側の「神籬(ひもろぎ)」です。
拝殿からは確認できないので、敷地外の道路から撮ってます。
お天気は良いし、人はいないし、静かで清々しくて 心も洗われる感じです。
産田神社 ← 神社庁のページに飛びます。
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コメント
こんばんは。
職場の雰囲気がイマイチとのことで、私心配です。
小さなことでも相談できる人がいるといいんですけど、
なかなかいないですよね。
さて今回の神社ですが、社殿は新しい感じがしますけど、
狛犬は古めかしいですね~。
こういう独自性のある(?)狛犬のある神社に興味があります。
いい場所を見せて下さってありがとうございます!
こちらは有名な神社ですよね。行ったことないですけど。
図らずも、産まれてすぐに母神を焼いてしまった軻遇突智神と、
それを切ってしまった伊弉諾尊が、
一緒に祀られているのがすばらしいです。
とても興味がある神社なので、一度行ってみたいと思っています。
こんばんは。
ご心配をおかけしてますが、大丈夫ですよ~
そういえば、今回の神社巡り狛犬さんチェックしてこなかった気がします。
さすがは「日本書紀」に登場する神社ですよね。
神々しいというか、独特な気配があります。
私も今回初めて行ってきました。
もとは、伊弉冉尊と軻遇突智神の二柱を祀った神社だったようですよ。