神社・仏閣

神々の眠るところ

こんにちは。
なんだかと~っても疲れる週末でした。
皆さんはしっかり休まりましたか?

今回は、前置きも短くさっさと本題に入ります。


今回紹介するのは、
前回と対になる神社「花乃窟神社」です。

前回の「産田神社」が神の産まれたところ。
それに対して「花乃窟神社」は神の陵墓。

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花乃窟神社
 祭神  伊弉冉尊   
     軻遇突智神


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手水鉢
コロナの影響で柄杓は撤去されてました。


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御由緒
 日本書記に「 一書曰伊弉冉尊(いざなみのみこと)火神を生み給う時に灼(や)かれて神退去(さり) ましぬ 故(か)れ紀伊国 熊野の有馬村に葬(かく)しまつる 土俗(くにびと)此神の魂(みたま)を祭るには 花の時に花を以って祭る 又鼓 吹幡旗(つづみふえはた)を用て歌い舞いて祭る」とあり、即ち当神社にして、其の由来するところ最も古く、花窟の名は増基法師が花を以て祭るより起これる名なり。
花窟神社は古来社殿なく、石巌壁立高さ45米。
南に面し其の正面に壇を作り、玉垣で周う拝所を設く。此の窟の南に岩あり、軻遇突智神の神霊を祀る。
此の神、伊弉冉尊の御子なれば王子の窟という旧藩主に於いて、此の霊地保護のため寛文9年9月、及び元禄8年11月四至限界御定書を下付し、且つ高札を建て殺生禁断を布令せられた。

この窟は伊弉冊尊の御葬所であり、季節の花を供え飾って尊を祀ったが、故に花窟との社号が付けられたと考えられる。
古来、花窟神社には神殿がなく、熊野灘に面した巨巌が伊弉冊尊の御神体とし、その下に玉砂利を敷きつめた祭場そして、王子の岩と呼ばれる高さ12メートル程の岩がある。
この神が伊弉冊尊の御子であることから王子の窟の名の由来とされている。
                                 神社HPより


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こちらの神社には社殿はなく、
正面に聳え立つ大きな岩山がご神体「花の窟」です。




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正面のご神体に祀られているのが「伊弉冉尊」
天地開闢において神世七代の最後に伊弉諾尊・伊弉冊尊ともに生まれ、
国産み・神産みにおいて伊弉諾尊との間に日本国土を形づくる多数の子を設けた母神。


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窟(いわや)は岩肌にできた窪みのことで、
この窟(くぼみ)に伊弉冉尊を横たえて葬った。
ということになるのかな?



伊弉冉尊と向かい合うように祀られているのが、

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軻遇突智神
こちらは、「王子の窟」と呼ばれています。




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毎年2月2日と10月2日に「お綱掛神事」
およそ10メートルの三旒の幡形、下部に種々の季節の花々や扇子等を結びつけたものを、
日本一長いともいわれる約170メートルの大綱に吊し、大綱の一端を岩窟上45メートル程の高さの御神体に、もう一端を境内南隅の松の御神木にわたす神事が行われます。



神社の鳥居の向かい側にある「口有馬の道標」

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花乃窟神社 ← 「花の窟」のHPへ飛びます。
 三重県熊野市有馬町上地130


花の窟神社  ← 5年前 2019年5月7日に書いた記事です。

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