ブログを始めて9年、(ごめんなさい 8年の間違い、9年目です。)
Yahoo!から引っ越してきて1年が過ぎました。
書き方にこだわりがあるわけでも、文才があるわけでもないから
うだうだとまとまりのない記事でよく9年も続いてきたなって思います。
一つの記事を書くのに何時間、何日かけてるんだ?ってことが続いてて
今回も前回から何日経ったんだろう・・・
これからもどんどん更新回数が減って、いつまで続くかわかりませんが、
細々と続けていけたらと思っています。
これからもよろしくお願いします。
さて、
「三重県の最果てを回ってみよう計画」南の端っこは紀宝町。
熊野灘に面した鵜殿が最南端だと思ってました。(思ってたでしょ?)
でも、違ったんです。
最南端は、熊野川が大きく蛇行して河口よりも南を流れてる。
南の最果て神社は、これまた烏止野神社といい勝負でしたが、
わずかに南側にある「北桧杖神社」

ここは、一度でたどり着けなかった所。
途中、車を停めて自転車に乗り換え、
その自転車も途中に停めて
えっ? こんな細い山道を?・・・





5分ほど行くと今度は石段が・・・



10分ほどかけてかなり上がってきましたが・・・

ようやく鳥居が見えてきました。




境内を回りこむように赤い鳥居が並んでいます。




手水場です。


北桧杖神社
祭神 倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)
御由緒
当社の創始については、文化2年(1805)3月に当地方で悪病が流行し、それを鎮めるために伏見稲荷大社から倉稲魂神を勧請したのが始まりという。後、悪病もなく、氏子の崇敬を集め、現在に至る。

一般に倉稲魂神は食物を司る神、つまり稲の生産豊饒を守護する農耕神として位置づけられており、また中世から近世にかけては商業の発展に伴い、殖産興業神、商業神、屋敷神としても全国に流布していったことはよく知られているが、しかし当社のように疫病除去の神として勧請されたことは珍しい事例といえよう。
神社庁HPより
「疫病除去」まさに今このコロナ禍に導かれたような出会いです。



北桧杖神社
三重県南牟婁郡紀宝町北桧杖527
神社庁HPでは「桧杖神社」になっています。
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コメント
地元の人がひっそりと守ってきている神社なのでしょうか。
しかし地元の人しか知らなさそうな秘境を探してきますねぇ。すごい!
いやぁ 本当にこんなところ?って感じでした。
Googleの地図でも道が途切れてて、
Googleearthでも森の中に隠れてt確認できないんですから(笑)
こんばんは!
ブログ9周年(間違っていたらごめんなさい)おめでとうございます!
お互い数少ない「三重県」記事提供者として細く長くやっていきましょう!
更新頻度は、無理せずやっていったらいいですよね。
(と自分にも言い聞かせています)
さて、今回の神社は以外でした。
鵜殿辺りが最南端だと思ったのですが違ったんですね。
こういう企画面白いです(今後何かでこのアイデア盗もうと思いました)。
しかしこんな山深い神社でもどなたか管理されているんですね。
その点も驚きました。
単純な計算もできないくらい疲れてるのかな?
9年目ですね。(苦)
最初はきのこの写真を紹介したくて始めたブログなんですが、
いつの間にか、統一性のないブログになってしまいました。
その時々でご縁を頂き、何とか細々と続けることができています。
検索して訪問してくださるみなさんのおかげです。
以外にも最南端は河口よりも少し上流でした。
日本一小さな村(だった)旧鵜殿村の面積が2.88㎢だったって事にもビックリですが、
最南端だと思ってた鵜殿村よりも上流側の紀宝町の方が南だということにも驚きですよね。