あら 日付が変わってしまった。
今回の「三重県の最果てを回ろう計画」いよいよ最終回
今回は最北端を紹介します。
三重県の最北端、それは「いなべ市」の「山の中」
岐阜県との県境になります。
最北端の神社は「丸山神社」

地域の公民館横にある、一の鳥居から二の鳥居まで、少し距離があります。

二の鳥居前までやってきました。

手水舎です。

手水舎の脇には古井戸が

水は枯れてしまっている感じでした。


中山神社
主祭神 建御名方神(たけみなかたのかみ)
祭神 天児屋根命(あめのこやねのみこと)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
佐々木高綱(ささき たかつな)
大山祇神 (おおやまつみのかみ)
火産霊神 (ほむすび⦅かぐつち⦆のかみ)
欄間(でいいのかな?)には龍神様の彫刻が



御由緒
勧請年月不詳。古くは三神社と いい五軒屋敷の東南の字宮坂地内にあったが、文久三年(一八六三)九月一九日現在の地に移した。
『員弁雑誌』に、「三神社 村の北に在、本社南向拝殿在、祭神 諏訪大明神・稲荷大明神・佐々木大明神の三座相殿なり、村の産土神にして例祭八月二五目、社地の内東に楠の大樹在。
秋葉権現社 本社東向、明和年中(一七六四~七二)勧請す。山神二社、何れも小祠也」とある。
更に『続員弁雑誌』に、「三神社 大字 川原、員弁雑誌に云う神を二〇年前村の南 (字高塚一名丸山と云う)に移し祀る、拝殿鳥居あり、村の産土神なり。
水神社 大字川原字こまふせ東向にあり、宝暦年中 (一七五一~六四)に川原井水落成になり、此所に水神社を勧請すと云う、神殿の正面に市杵島命四字の額掛あり、境内景地なり」とある。
諏訪大明神は阿下喜城主片山人和守信保が信州諏訪の出身であったことによるという。






宝物殿かな?

丸山神社
三重県いなべ市北勢町川原 412

北の神社は大きな神社でした。
これで、東西南北4つの「最果神社」が出そろいました。
東は鳥羽市神島の「八代神社」
西は紀和町の「太平神社」
南は紀宝町の「北桧杖神社」
そして北はいなべ市の「丸山神社」
八代神社以外はほかの参拝者に会いませんでしたが、
それぞれ、地域に根付いて大切に守られてきた神社でした。
- 関連記事
-
- 親子三代女三人日帰り旅 泰運寺 (2020/11/25)
- 親子三代女三人日帰り旅 戒長寺 (2020/11/21)
- 三重県の最果神社 北 (2020/11/15)
- 三重県の最果神社 南 (2020/11/14)
- 三重県の最果神社 西 (2020/11/09)
コメント
こんばんは!
縦長で有名な(?)三重県の参拝、お疲れ様でした~。
実行される行動力、私も見習わないとと思いました。
私も何か面白いこと考えよう!
さて今回の神社は、昔はかなりの神域があったんでしょうね。
鳥居から拝殿までの距離が遠いことがよく分かりました!
綺麗に清掃されている神社で、神職の方のご苦労もありますが、
同時に地域から敬愛されている場所であることも分かりました。
こういう場所に行くと心が安らぎますよね。
さすがに北の端は、平地でしたね。
みんな廻るの大変だったでしょう。お疲れ様でした。
次は一番高度が高いところ低いところとか?
高い山の山頂ってお社はあっても、神社は少ないものなんでしょうかねぇ。
他の3ヶ所の神社に比べてわかりやすくて結構大きな神社でした。
今回の「端っこ参拝企画」意外がたくさんでしたが、
それぞれに地域とのつながりを感じることができました。
北の端は、わかりやすくて素直にたどり着くことができました。
どこが端っこなのか調べるのも結構楽しかったです。
次はまだ考えてませんが、三重県の魅力を発信できたらと思っています。