このところ、穏やかな日が続きますね。
乾燥が気になりますが、暖かい日が続くのはありがたいです。
先月、神島へ行ってきましたが その時の様子を紹介していませんでした。
別に忘れてたわけではないんですが、
長くなりそうだったので季節に合ったものの紹介を済ませてから、
と そう思っただけなんです。
と いうことで
ここから何回かは、一月ほど後戻りします。
11月3日 文化の日
以前から考えていた「三重県の端っこを訪ねる旅」
最東端 鳥羽市は神島
ご存じの通り神島に渡るためには「市営定期船」を使うしかありません。
本島とを結ぶ唯一の交通手段ですから、よほど波が荒れなければ船は出ます。
とはいっても、普段乗りなれていませんから、船酔いが心配。
予定が付く日と波の具合が合う日を選んで、この日になりました。
定期船が神島まで行くのは、一日4便。
一度出てしまうと次の便まで3時間。

始発が7時40分 これには間に合いそうにないので、次の便10時45分にします。
鳥羽の佐田港に着いたのが 9時すぎ
時間つぶしに「鳥羽城址」へ行ってみたいと思います。
駐車場がないので、市役所駐車場・公営駐車場から歩くことになります。

鳥羽城は、天守は残っていませんが、
「鳥羽の浮城」「錦城」「二色城」の別名を持つお城です。
早速、散策したいと思います。

鳥羽湾をバックに「バエる」?スポットだそうです。



鳥羽城は、戦国期に織田信長、豊臣秀吉のもとで、水軍を率いて数々の戦功をあげた九鬼嘉隆が、水軍運用を重視して、当時国境であった妙慶川河口の南岸に突き出た小山に鳥羽城を築き、文禄3(1594)年に完成したとされています。
鳥羽市HPより




鳥羽城は、大手水門を海岸側に向け、周囲を海で囲まれた『海城』で、全国的にも稀有な城でした。本丸には3層の天守閣がそびえていましたが、明治時代のはじめに建物は解体され、現在は本丸周辺や、市文化会館の裏に石垣の一部が残っており当時の面影を残しています。
鳥羽市HPより



すぐ目の前に、「鳥羽水族館」と「真珠島」が見えています。









天守後、本丸跡 ずいぶん広い土地で、かなり大きな城だったようです。



石垣の石材は、周辺の海岸部で採取されたものといわれています。







三の丸跡は、公園として整備されています。

時間は10時30分 そろそろ港へ移動しましょう。
次回から、神島を紹介します。
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コメント
この城跡の下に、昔は幼稚園があって、そこに通っていました。
就学1年前の年長さんだけが集められる幼稚園でした。
城跡は運動場になっていて、運動会もここでやっていたんですよ。
旧鳥羽小学校のあたりでしょうか?
昭和の頃って幼稚園は年長さんだけでしたよね。
城址で運動会、贅沢ですね。