歴史

地震と津波の記憶を訪ねて 2

連休中、爆弾寒波の影響でずいぶん冷えましたね。
岐阜・新潟・北陸各地は大雪のピークは越えたということですが、
大変な積雪になっているようですね。

明日は太平洋側でも積雪になるようなので、十分注意しましょう。



津波慰霊碑巡り 続きです。




熊野市二木島町の逢川橋脇にある「森本福太郎翁顕彰碑」と、
「東南海大地震津波到達地点」の碑。

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「昭和19年12月7日昼、未曽有の大津波が旧荒坂村を襲った。東南海地震大津波である。
このとき、荒坂国民学校児童生徒三百人余は津波の襲来を知らぬまま 今、まさに下校にかからんとしていた。その危急を救ったのが、森本福太郎翁である。
 翁は、自らの危険を顧みず、学校に急行すると、大音声で「津波が来る、子どもを逃がせ」と叫び、三百人余の子どもたちを直ちに高台へ避難させた。
この碑は、翁の尊い働きを顕彰し、後世に語り伝えていくため二木島町民の有志によって建立するものである。 ※奥地政吉さん 他数名も駆け付けた。」


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昭和東南海地震、この地区は約9mの津波が襲来しています。


熊野市二木島町の逢川にかかる逢川橋脇にある「津浪地蔵」。

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「森本福太郎翁顕彰碑」よりも、3mほど高いところに建っています。
1854年安政東海地震の津波は約12mにもなったようです。


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熊野市消防団荒坂分団車庫脇にある「東南海大地震の記」の碑。

二木島地区では、
死者5名、家屋流失8戸、倒壊19戸、浸水家屋106戸、非住家流失13戸、倒壊2戸、
国民学校3棟・青年組合・造船所・柑橘出荷組合・製材所の流失
貨物船1隻大破、漁船4隻流失、その他田畑の倒壊多数
の被害が出ています。


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