歴史

地震と津波の記憶を訪ねて 3

この辺りは雪ではなくて、一日雨になりました。
芯から冷えるような寒さはないにしても、やっぱり寒かったですね。


津波供養碑 熊野から尾鷲へとやってきました。


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尾鷲市北浦西町の馬越墓地に建つ「三界萬霊塔」

三界とは仏教の言葉で、
欲界(食欲、物欲、性欲の世界)、色界(物質の世界)、無色界(欲も物もない世界)の三つの世界をいう。 また、過去、現在、未来をいうこともある。
これらの世界の霊、この世の生きとし生けるものすべての霊をこの塔に宿らせて祀りするために建てられた塔。




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尾鷲市賀田の東禅寺にある「遭難之碑」
左側の「遭難之碑」が、1944年の東南海地震の供養碑。

この地方には、
地震後、津波到達まで「飯を一鍋炊く時間がある」(宝永地震時の到達時間)
と言われてきたので、すぐに避難しようという人は少なかったそうです。


右側は、1971年9月10日三重県南部集中豪雨による土石流災害の供養碑


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山門の裏には、これまでの災害の記録が書かれています。

古くは、684年 天武13年の「白鳳の東海・東南海地震」から、
遭難之碑にある
1944年 昭和19年12月7日の「昭和の南海地震」
1971年 昭和46年9月10日の「三重県南部集中豪雨の山津波(土石流)」まで



尾鷲市賀田 賀田郵便協近くにある「東南海地震都市計画完成記念の碑」

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昭和東海地震体験談  ← 

      平成6年12月7日に開かれた懇談会での体験談を見ることができます。

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