神社・仏閣

甘露寺

なんか、花粉が飛び始めました?
先日から花がムズムズする日があるんですよね。
花粉症というほどではなくて(あくまで認めたくない)
年に何度か、数えるほどですけどくしゃみが止まらない日があって、
マスクしてても止まらないからマスクの下は鼻栓って日があるとかないとか・・・



さて、今日は南伊勢町の「甘露寺」を紹介します。

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甘露寺
 臨済宗 妙心寺派のお寺で、山号は大雲山


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文和三年(1354年)明徹光琮禅師により開創された。
禅師は諸国巡錫の途、足をこの地に止め古和在住の人々の厚き帰依を受けられ一草庵を開創した。爾来この地にとどまり住職として十年余りつとめ、貞治五年(1366年)三月十六日鎌倉に帰り示寂された。


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以後しばらくの間の記録は定かでないが、徳川家綱の時代に妙心寺派の嶺堂宗庾が来て再興した。
 寛文五年(1665年)五月二十三日妙心寺との本末関係を結ぶ、以後現在に至っている。、第四世了堂禅覚の時代(元禄九年(1696年)六月)に本堂が再建され、第七世大 智恬の時代(文化二年(1805年)八月)に庫裡が再建され今日に至っている。


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 その間第三世鏡堂慈円の時代(延宝七年(1679年)三月)に観音堂が再建され、第四世了堂禅覚の時代(元禄九年(1696年)六月)に本堂が再建され、第七世大 智恬の時代(文化二年(1805年)八月)に庫裡が再建され今日に至っている。


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観音堂 かな?


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『天保飢饉餓死疫亡者供養塔』
  天保の飢饉により古和浦では400人に達する餓死者と流行病による死者が出た。
 それらの人々の供養のため嘉永6年に建立された。



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甘露寺 
  三重県度会郡南伊勢町古和浦253
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