


これらの蘇鉄は、宣教師が大名や天皇へ献上したものといわれていて、宣教師によるキリスト教伝来に伴って協会に植えられたのが始まりなのかな?
豊臣政権の中期まで全国に200か所を超える教会が作られて、蘇鉄もまた各地に移植さたのだろうけれど、キリスト教に対する迫害でによって教会堂は破却されていった。
そこで お寺に蘇鉄が植えられる理由 その1
破却された教会の蘇鉄を近くのお寺に移植した?
蘇鉄の実を秋に採取し、風通しの良い場所で陰干し乾燥させることで、蘇鉄実(そてつじつ)という生薬になります。
そこで お寺に蘇鉄が植えられる理由 その2
お寺の住職が医師としての役割も兼任していたころに、生薬「蘇鉄実」として利用するためにお寺に植えた?
また、蘇鉄はやせた土地でも育ち、猛毒でありながら下処理をしっかりすれば食用にできる。
何度か水にさらして布でくるみ暗い場所で寝かしながら様子をみて、黄色い麹が生えたらしっかり水洗いし、杵臼で細かくして水を変えながら幹が柔らかくなるまで数日間繰り返し、さらに細かくすりつぶし水につけそこに沈んだでんぷん質をすくい上げ団子状にして乾燥させたものが「シン」と呼ばれる保存食です。
そこで
お寺に蘇鉄が植えられる理由 その3
飢饉や災害時の非常食として、避難場所としての役割もあったであろうお寺に植えられた?
あくまでも、私個人の仮説なので本気にしないでくださいね・・・
「お寺の蘇鉄」についてこんな伝説がありました。
織田信長が、大阪堺の「妙国寺」に宿泊した際、境内に植えられたソテツをたいそう気に入り、権力に任せて安土城に移植させた。
すると数日後からソテツは、毎夜毎夜「堺へ帰ろう、妙国寺へ帰ろう」とすすり泣くようになった。
怒った信長がソテツを切りつけたところ、鮮血を吹いて大蛇のごとくのたうち回った。
さすがの信長も気味悪がって妙国寺に送り返した。
切り付けられたソテツは弱って枯れそうになり、哀れんだ日珖上人が読経したところ
ソテツから宇賀徳正龍神が現れ、「鉄分のものを与え、仏法の加護で蘇生すれば、報恩のため、男の険難と女の安産を守ろう」と告げた。そこで日珖が早速門前の鍛冶屋に命じて鉄屑を根元に埋めさせたところ、見事に蘇った。
そこから「ソテツ」に「蘇鉄」の字があてられた。
家康についても
遠州「能満寺」を訪れた徳川家康は、境内に植えられた蘇鉄のみごとさに驚いてどうしてもほしくなった。
家康の頼みに、住職も仕方なくソテツを掘り起こし、船に乗せて駿府城へと運びこんだ。すると数日後から、毎夜毎夜「能満寺へ帰りたい。能満寺へ帰りたい。」と蘇鉄が泣いた。家康は、かわいそうなことをしてしまったと思い、仕方なく能満寺へ送り返した。

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