三重県の昔話

民話の舞台を訪ねて 「ガロボシとの約束」

紀和町から御浜町、更に北上して熊野市へやってきました。

熊野市飛鳥町
ここへは、「田んぼアート」を見に何度か来たことがあります。
この飛鳥町の「大又川」。
国道沿いを流れるとてもきれいな川です。


飛鳥町小坂の平地区
そこに、こんな言い伝えがあります

大雨が降ると、悪さが好きなガロボシ(カッパ)が牛や子どもを川に引きずり込んだ。
ある時、庄屋の牛を川に引っ張り込もうとしたガロボシを、村人は逆に陸に引き上げ、
袋だたきにした。
ガロボシは「俺の好物のきゅうりがあると村に来たくなってしまう。きゅうりを作らないなら、金輪際出てこない」と命乞いをした。
庄屋は村できゅうりを作らないことを決め、カッパと契約を結んだ上で放してやった。
ガロボシは川の中程まで行くと村人の方を振り返り「忘れた頃にまた来るかもしれんぞ」と捨て台詞を残して水中に消えていった。
後日、庄屋は二度とガロボシがこの村に出てこないように、経文をくらもとの川原に埋めた。

それから、村ではきゅうりは作らず、食べる分は、外から分けてもらい、
食べ残したきゅうりから芽が出れば引っこ抜いて徹底した。


そんな言い伝えを300年以上も守ってきた1980年(昭和55年)秋、
市農協から採種用のきゅうり栽培の話が持ちかけられた。
(もともと、雨の多い尾鷲・熊野地域はきゅうりの栽培に適しているんだそうです。)

掟の解禁を巡り話し合いは紛糾、
近くのお寺の住職にお祓いをしてもらい、きゅうり作りを解禁。

それから3年、ガロボシは平の人々に災いをなすことなく、
人々は感謝し、川の石で「カッパ之碑」を建てた。

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ここに深い淵があって、ガロボシ(カッパ)が住んでいたと伝わっているそうです。

ガロボシの許しを得たきゅうり栽培ですが、今でもガロボシとの約束を守って
きゅうり栽培をせず、食べない人もいるそうです。
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コメント

  • 大暗黒天.
  • URL

昭和58年って、まだまだ最近?じゃないですか!
そんな時期まで伝統を守っていたんですねぇ。

  • ほしみ
  • URL
大暗黒天. さん

そうです。まだまだ最近です。
しかも、農協が話を持ち掛けたから。
「うちだけは、絶対作らない!」ってお宅もまだあるそうなので、
農協が話を持ってこなかったら、まだ作ってなかったかもしれませんよ。

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