よく降りましたね。バケツをひっくり返したくらいよく降りました。
夕方には止んで陽も差してきましたが、また降り出しました。
さて、昔話を訪ねる企画、今回も牛鬼の伝説です。
牛鬼の伝説は、西日本に多いそうなんですが、
三重県には、伊勢市中之町の「牛鬼洞」と 宇治浦田町の「浦田坂」、
多気郡宮川村(現大台町)父ヶ谷の「牛鬼淵」と 宮川村浦谷の「牛鬼滝」、
度会郡南勢町五ヶ所浦(現南伊勢町)の「五ヶ所浦の牛鬼伝説」、
北牟婁郡海山町(現紀北町)の「うしおに滝」、
尾鷲市曽根町の「一本足の牛鬼」、
南牟婁郡御浜町片川「片川の牛鬼」、
と、8つの「牛鬼伝説」があります。
前回は、このうち五ヶ所浦の牛鬼伝説を紹介しましたが、
今回は、旧宮川村大杉の父ヶ谷にある「牛鬼淵」
ここには、「牛鬼」に関する、ふたつのおはなしがあります。
顔が牛で体が鬼という恐ろしい化け物が棲む「牛鬼淵」のはなしと、
頭は鬼のようで体は牛みたいな気味の悪い化け物が棲む「牛鬼淵」のはなし。
顔が牛で体が鬼の牛鬼は、鬼木五兵衛という人が、
頭が鬼で体が牛の牛鬼は、喜五兵衛という鉄砲の名人が退治したとされています。
その、黒くも見えるという、真っ青な深い深い淵に流れ落ちる滝を見てみたい。
そんな軽い気持ちで、台高山系父ヶ谷へ。

鬼刃を怖がる顔が牛で体が鬼という化け物の話
昔、伊勢の山奥に牛鬼淵と呼ばれる深い淵があり、そこには顔が牛で体が鬼という恐ろしい化け物が住んでいると言われていました。

この山奥に、二人の木こりが山がけして木を切り出していました。
ある夜の事、いつものように囲炉裏端で年寄りの木こりがノコギリの手入れをしていると、
妙な男が戸口のむしろをめくり顔を出しました。
「何しとるんじゃ?」と尋ねる男に、年寄りの木こりが「ノコギリの手入れをしている」と答えました。木を切るためのノコギリと知ると、妙な男は小屋の中へ入ってくる素振りを見せました。
そこで年寄りの木こりが「じゃがの、最後の32枚目の刃は鬼刃(おにば)といって鬼が出てきたら挽き殺すんじゃよ」と言うと、妙な男はどこかへ行ってしまいました。
翌晩も、同じ男がやってきて同じ質問をして帰っていきました。

翌朝、木こり達が大木を切っていると、固い節の部分に鬼刃が当たりボッキリと折れてしまいました。
折れた刃を修理するため、仕方なくふもとの村まで下りる事にしましたが、若い木こりは面倒くさがって一人で小屋で待つ事にしました。
その夜、また妙な男がやってきて同じ質問をしましたが、若い木こりは酒も入ってたせいか「鬼刃の修理に行っているんじゃ」と答えてしまいました。すると妙な男は「今夜は鬼刃は無いんじゃな」そう言いながら、小屋の中へヌーッと入ってきました。

次の日、ノコギリの修理を終えた年寄りの木こりが山に戻り、牛鬼淵のそばを通りかかると、若い木こりの着物がプカプカと浮いていました。牛鬼は確かにいるのです、月の明るい晩には「ウォーン、ウォーン」と悲しげに鳴くそうです。
これは、1978年03月11日 「まんが日本昔ばなし」で紹介された話で、
めちゃくちゃ怖かった覚えがあります。


確かに、昼間でも薄暗く茂った山際には、何かが潜んでいそうな雰囲気さえあります。

宮川村には喜五兵衛(きごべえ)という鉄砲の名人がおってな、こんな話が残っておるんや。
むかしむかしのことやけどな、大杉の父ヶ谷に、「牛鬼淵」という、滝があって真っ青で深い、不気味な淵があったそうな。
この近くに小屋を作って山仕事をしておる者らがおったのやけど、ときどき「ざぶーん」と何やら大きいもんが淵に飛び込むような音がするのやて。
むかしむかしのことやけどな、大杉の父ヶ谷に、「牛鬼淵」という、滝があって真っ青で深い、不気味な淵があったそうな。
この近くに小屋を作って山仕事をしておる者らがおったのやけど、ときどき「ざぶーん」と何やら大きいもんが淵に飛び込むような音がするのやて。
不思議な音やったけど、怖て誰も見に行く気にはなれへんだ。
ある時、おそるおそる見に行って見ると、そこにおったのは頭は鬼のようで体は牛みたいな気味の悪い化け物やった。これを見たみなはびっくりぎょうてん、山小屋へ逃げ帰ったんや。
「こんなとこにおったら、どないなことになるかわからへん」
と、大あわてで荷物をまとめて村へ逃げかえったんやけど、そこに居合わせたのが鉄砲名人の喜五兵衛や。話を聞いた喜五兵衛は、
「そんな化け物がおるんなら、わしが射止めたるわい」
と、案内の衆を連れて山へ登っていったそうな。
ある時、おそるおそる見に行って見ると、そこにおったのは頭は鬼のようで体は牛みたいな気味の悪い化け物やった。これを見たみなはびっくりぎょうてん、山小屋へ逃げ帰ったんや。
「こんなとこにおったら、どないなことになるかわからへん」
と、大あわてで荷物をまとめて村へ逃げかえったんやけど、そこに居合わせたのが鉄砲名人の喜五兵衛や。話を聞いた喜五兵衛は、
「そんな化け物がおるんなら、わしが射止めたるわい」
と、案内の衆を連れて山へ登っていったそうな。

淵の近くへ付いて、まだかまだか、と待っておるうちに、「ざぶーん」と水音がしたかと思うと牛鬼が不気味な姿を現したんや。
喜五兵衛は二発、三発と鉄砲を撃った。そやけど妙なことに効き目があらへん。そのうちに牛鬼は、どこへやら姿を消してしもた。

喜五兵衛らは山小屋に泊まり込んで牛鬼を待つことにした。
数日たって、石垣に隠れて見ておると、また、あの大きな水音がして牛鬼が現れたんや。
それ、とばかりに鉄砲を何発撃ってもいっこうに効き目があらへん。皆が固唾をのんで見守る前で、喜五兵衛は、
「ままよ」
と、肌身はなさず持っておった「南無阿弥陀仏」と刻んだ弾をズドーンと撃った。
「ままよ」
と、肌身はなさず持っておった「南無阿弥陀仏」と刻んだ弾をズドーンと撃った。
すると、見る見るうちに淵が真っ赤な血の海になってな、牛鬼の姿は見えんなってしもたんやて。

もうひとつなあ、それから、鉄砲名人喜五兵衛には、こんな話もあるんや。
大杉の高瀬というとこに大きい淵があったんや。ある日、喜五兵衛が近くを通りかかると、高瀬の淵の向こう岸からこっちまである大蛇が、ぬうーっと出てきたんやて。
「瀬の両岸にとどくとは、なんという大きさや。こりゃ大変じゃ」
と、さすがの喜五兵衛もあわてふためいて蛇の頭めがけて何発も撃ったんやが、いっこうに弱らへん。こまった喜五兵衛は、鉄鍋の底についていた爪を取って持っておったのを鉄砲に込めてズドンと撃った。
すると、大蛇もたまらず川を真っ赤に染めて川下へと流れていってしもたんやて。
大杉の高瀬というとこに大きい淵があったんや。ある日、喜五兵衛が近くを通りかかると、高瀬の淵の向こう岸からこっちまである大蛇が、ぬうーっと出てきたんやて。
「瀬の両岸にとどくとは、なんという大きさや。こりゃ大変じゃ」
と、さすがの喜五兵衛もあわてふためいて蛇の頭めがけて何発も撃ったんやが、いっこうに弱らへん。こまった喜五兵衛は、鉄鍋の底についていた爪を取って持っておったのを鉄砲に込めてズドンと撃った。
すると、大蛇もたまらず川を真っ赤に染めて川下へと流れていってしもたんやて。

ほっと一息ついた喜五兵衛が、石に腰かけて一服しておると、目の前にどこやらからか真っ白な鹿が現れて言うたんや。
「わたしは、神様の使いである。これ以上殺生をしてはならん。鉄砲はもう置くがよい」
こう、言い残すとどこへともなく消えてしもた。
「もったいない、神様のお告げや」
と喜五兵衛はふっつりと猟をやめてしもたんやが、鉄砲名人といわれたほどの男やもん、たちまちのうちに生きがいをなくして、あの世へと旅だってしもた。
「わたしは、神様の使いである。これ以上殺生をしてはならん。鉄砲はもう置くがよい」
こう、言い残すとどこへともなく消えてしもた。
「もったいない、神様のお告げや」
と喜五兵衛はふっつりと猟をやめてしもたんやが、鉄砲名人といわれたほどの男やもん、たちまちのうちに生きがいをなくして、あの世へと旅だってしもた。

喜五兵衛は「ふるこの川原」に葬られて、村人が墓を守っておったんやけど、ある時狼(おおかみ)が現れて墓石を倒してしもたんや。これを見た村人は
「喜五兵衛さんよ、鉄砲名人で怖いもんなしやったあんたも、死んでしまうとみじめやな」
と、言うて、お参りをして帰ってしもた。
それから数日後のこと。村人が墓参りに行くと、狼が墓の穴に引き込まれて死んでおる。
「やっぱり、喜五兵衛さんや。死んでもえらいもんや。魂が生きておる」
と村人は感心してな、喜五兵衛の名前を語り継いできたんや。
「喜五兵衛さんよ、鉄砲名人で怖いもんなしやったあんたも、死んでしまうとみじめやな」
と、言うて、お参りをして帰ってしもた。
それから数日後のこと。村人が墓参りに行くと、狼が墓の穴に引き込まれて死んでおる。
「やっぱり、喜五兵衛さんや。死んでもえらいもんや。魂が生きておる」
と村人は感心してな、喜五兵衛の名前を語り継いできたんや。

結局、淵は深い深い谷の底、
度重なる水害や、がけ崩れで淵へ降りる道はなくなり、
林道からたどり着くことはできませんでした。

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