ご無沙汰しています。
随分寒くなってきましたね。
気がつけば11月です。
毎日投稿は難しいと思いますが、しばらく季節外れのネタが続きます。

8月の末に稲刈りの始まった「丸山千枚田」に行ってきました。
以前は、工作放棄の田んぼが目立っていましたが、年々復活田が増えてきました。
この棚田がいつ頃造成されたかは不明ですが、約400年前 慶長6年(1601年)にはすでに2240枚、明治31年(1898年)の測量図を推定したところ、2483枚の田畑があった記録が残されていますが、平成初期には後継者不足等により530枚まで減少していました。
平成6年に「丸山千枚田条例」の制定、そして地元住民らの協力により復田作業が行われ、現在は1340枚の規模が維持保存されています。
熊野市HPより

県道40号の展望台からの全景
この風景は有名ですよね。

機械の入らない、大小さまざまな形の田んぼが段々に広がります。

2020年産に県産地品種銘柄に登録された、三重県の気候に合う新品種の「なついろ」が育てられています。









熊野市丸山千枚田条例
わたくしたちが誇りにしている地域資源に丸山千枚田がある。千枚田は、祖先から受け継いだ貴重な稲作文化で全国的に稀であり、存在が注目されている。
しかし、千枚田における農作業は、地形上、機械による省力化に限界があり、加えて農業環境の変化もあり、休耕地と荒廃地がみられる。
このような状況の中、この貴重な資源を保護し後世に継承していくことは極めて重要で、併せて有効に活用していくことが、わたくしたちに課せられた責務である。千枚田は、幾百年もの昔、一くわずつ大地を起こし、石を積み上げ、土をあてがいながら営々と2,400余枚を造成し、以来、今日まで休むことなく天水を貯え、芝を刈りこんで耕作し、管理してきたのである。
また、ここに住む人たちは、裾野を埋めつくす雲海に朝の英気を養い、暮れなずむ連山の空を赤く染める落日に心を癒しながら、正に、千枚田とともに生き続けてきたのである。歴史は巡り、時は流れたとはいえ諸々の日本農耕文化の原点を内包しているのが千枚田である。
わたくしたちは、ここに先人の英知と偉業を偲びこれを称えるとともに、千枚田に親しみ、愛しつつその保護に一層努力することを宣言し、この条例を制定する。
(平成17年11月1日)
むかしむかし、田植えを終えて、念のため水田の枚数を数えてみた。
千枚あるはずなのに、どうしても一枚足りない。
日も暮れたので、あきらめて帰ろうと、
そばにあったすげ笠を取り上げてみると、その下に一番小さな田が隠れていたそうな。
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