週明けは寒気が入って寒くなるようですね。
この辺りは、ギリギリ雨の予報ですけど、風が強くなれば雪が降るかもです。
雪よりも凍るのが怖いんですけどね。
潮岬灯台の近くにある神社
「潮御岬神社」へ参拝してきました。
灯台の奥に神社があるのは知ってましたが、参拝したことはありませんでした。
(なんて罰当たりなんでしょう・・・)

潮岬灯台の敷地を右へまわりこむように進むと、参道の灯篭があり、突き当りに鳥居があります。

由緒
「記紀」にいう当地御崎は、少彦名命、熊野御崎より常世国に渡り給うたという聖地で、
景行天皇28(98)年、御崎の「静之窟」内に少彦名命を勧請したのに始り、その後、潮崎安磨「静之峯」に遷座した。
しかし貞観12(871)年5月に、潮崎安守はさらに「潮見の端」へ遷座したと伝えられる。
また、当社は貞観17(875)年10月の『三代実録』にみえる三前神で、神位従五位下に敍せられたという。
江戸時代は、御崎大明神社とか御崎明神といわれ、また周参見より下田原に至る18ヵ浦の総産土神として崇敬されていた。
さらに当社には、既に寛永14(1637)年の古文書にも見られる、18ヵ浦の鰹漁の船主・船頭が毎年旧正月・5月・9月の18日に潮御崎神社に集り、神官の立会で鰹漁に関する規約を確め、海上安全豊漁祈願を重ねる岬会合「鰹漁に関する約束ごと」を戦前まで行ってきた。
当社の両部神道による本地仏が観音であったことから、潮御崎大明神とか御崎観音ともいわれ、西国巡礼者からも敬われた。
明治初(1868)年、社名を潮御崎神社に改称、同2年、境内地を灯台建設のために日本政府より求められて旧社地といわれる現在の地、静之峰に遷宮した。
しかし貞観12(871)年5月に、潮崎安守はさらに「潮見の端」へ遷座したと伝えられる。
また、当社は貞観17(875)年10月の『三代実録』にみえる三前神で、神位従五位下に敍せられたという。
江戸時代は、御崎大明神社とか御崎明神といわれ、また周参見より下田原に至る18ヵ浦の総産土神として崇敬されていた。
さらに当社には、既に寛永14(1637)年の古文書にも見られる、18ヵ浦の鰹漁の船主・船頭が毎年旧正月・5月・9月の18日に潮御崎神社に集り、神官の立会で鰹漁に関する規約を確め、海上安全豊漁祈願を重ねる岬会合「鰹漁に関する約束ごと」を戦前まで行ってきた。
当社の両部神道による本地仏が観音であったことから、潮御崎大明神とか御崎観音ともいわれ、西国巡礼者からも敬われた。
明治初(1868)年、社名を潮御崎神社に改称、同2年、境内地を灯台建設のために日本政府より求められて旧社地といわれる現在の地、静之峰に遷宮した。

主祭神 少彦名命 (スクナビコナノミコト)
配祀神 金山彦命 (カナヤマヒコノミコト)
高皇産霊神 (タカミムスビノカミ)
天照大神 (アマテラスオオカミ)
大国主命 (オオクニヌシノミコト)
猿田彦命 (サルタヒコノミコト)







和歌山県東牟婁郡串本町潮岬2881
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コメント
立派な神社!
独特の屋根のかたちをしているんですね。
どこから伝わってきた屋根なんでしょうかねぇ。
どっしりとした社殿の神社でしたよ。
岬の先端にあって、台風に耐えられるような作りになっているんでしょうか?
この神社は凄く立派な風格と言うか?
何か目に見えないけれども凄く魅力的な感覚を感じ取れます。
今週はめちゃくちゃ寒いですよね。
亀山も30センチ積り道が進まず出勤まで2時間掛かる事態でした。
そちらはどうでしたか?
海辺の神社は、内陸に神社とは違った魅力がありますよね。
こちらもうっすらですが積もりました2cmくらいかな?
同じ町内でも場所によって5~6㎝ほど積もったようです。
それよりも、凍ったのでそれの方が怖かったですね。
気温も-5℃まで下がりました。